離。理。り。
昨晩、全ての決着が付いた。
お互い違う人生を歩む事を明確にし、何をどう分配するのかも基本合意が取れた。
出来事
「離婚」に関するお互いの話し合いが完了
方々への説明と法的な書類手続きに移行することが決定
離婚原因
雑に言うと価値観の不一致
- 結婚前の対話と覚悟が足りていなかった
- 自分が相手に求めてしまう基準が双方を苦しめた
- お互いの気持ちが終了した
人は自分すら変えられないのに、他人に「こうなって欲しい」を要求し始めたら終わりだと思う。
変われないが普通。変われたら凄い!!
そして、他人の人生を生きる必要は微塵もない。
求めてしまう基準
- 対当なパートナーであること
- 経済的な自立
- 生活的な自立
- 一緒に物事を考えられること
- 一緒に居る時間が作れること
「対当なパートナー」
「対当なパートナー」とはとても曖昧であるけれど、少なくとも「生活していける収入を得る能力」と「生活していける家庭的能力」の両方を持っていて、お互いが協力関係にある状態で有りたいと思った。
後者は炊飯器の使い方から掃除の仕方までゆっくり教えて、3年間で満たしてくれたと思う。 すごいよね。
だけれど、前者は「ちゃんと働く」の言葉が実現されることは無く、結婚後の話し合いで「(あなたが)私はパートで楽に気分良く働いてくれていればいいよ。と言っていたんじゃないの?話が違うくない??」と言われ、 「そう言ったつもりはない。まずはバイトの掛け持ちで朝から働いて日付変更くらいに返ってきて、ストレスで愚痴が止まらない様な仕事を辞めて、もっと楽に仕事したら良いんじゃない?労働時間減らして今より楽しく稼ぐって意外とできるよ。」と言ったつもりだった。的な認識齟齬が合ったことが分かった。
「相手が俺じゃなかったらこんな事求められなかったのにね。ごめんね。」
泣かれた。
変わると言われた。
俺に言われて変わろうとするのは辛い選択だから、どこかで糸が切れちゃうよ?と話した。
2週間で糸は切れた。
「何故、自分は相手に求めてしまうのか」を自省した。
自分のコンプレックスから来る「こうあるべき」を他人に押し付けた結果だと思う。
この問題から開放されるためには、まずコンプレックスと正しく向き合って今の自分を肯定して上げる必要があるのだろう。
自分に厳しくするのはかっこよく見えるけど、本当はコンプレックスに人生を決められているだけなのかもしれない。
あなたは限られた時間を何に使いたい?
一緒に物事を考えられること
真面目な話や将来の話、お互いの認識齟齬を埋めたりする会話をしたかった。
毎回、「今はそんな話したくない」と怒られた。
会話することを諦めてしまった。
「何故、相手は話し合いをしたくなかったと思う?」を自省した。
おそらく2点
- 仕事で疲れていてそれどころではなかった
- 正論で詰めるアレ
相手はバイトの掛け持ちで朝から働いて日付変更周辺に帰ってくる。
休みはそれをリフレッシュするために外へ遊びに行く。
その合間を縫って難しい話なんてしたくないのは確かにそうだろう。
諦める前にちゃんと対話できる場を自分が作って上げる事ができたら違ったと思う。
また、自分の厄介な性質として、会話において「確からしさ」を優先してしまい、相手の感情を無視して正論で詰めてしまう事がある。
これもコンプレックスから来ていると思うが、仕事でもプライベートでも一番に解決したい悪癖だ。
受けた側は萎縮し、もうこいつとは会話したくないと思う。
感情的になったり、正論で打ち負かそうとする人間の心は、おそらく何かを守ろうとして反応しているのだと思う。
対策としては、もっと弱さをさらけ出して「守らなくても大丈夫なんだよ」を自分の心に教えて上げるのを実践している。
一緒にいる時間が作れること
相手の働き方と外出頻度
そして、自分の外出頻度が大きく関係している。
リモートワークなどで外出頻度が著しく低下した自分と、毎日の様に出かけて家は寝るだけの相手とのギャップは大きい。
これも結局は相対的なものだったのだろう。
3月は意図して予定を増やして家を明けてみた。
疲れるがとても充実している。
なるほど、家に引き篭もる人間とそうでない人間の間の「一緒にいる時間」の適量は難しいのだな。
フィードバック
離婚が決定した後に辛辣なフィードバックを頂いた。
- デリカシーが無い
- ジェントルマンじゃない
ご尤も
デリカシーとは気配りや配慮のことである。
されたら嬉しい。やろう。
ジェントルマンとは、彼女の言葉ではおそらく「女性配慮」の事を指すのだろう。
こちらもやはりされたら嬉しい。やろう。
生理も無ければ、恵まれた体格で日々受けるストレスも少ない。 そんな人間がちょっと他者を労るくらい受けてきた恩恵からすれば安いものだろう。
おわりに
文章の端々に「私の辛み」がにじみ出ていて大変申し訳無い。
自分の良くない部分を根本原因と捉える事にはある程度成功していても、苦しんだ感情はそれでも煩く喚くみたいだ。
3.5年も一緒にいた人と分かれるとなると、色んな感情が湧き出てくるんだね。
それでも、お互いの未来のためにはこれが良かったのだと2人で結論を出したから、それを信じることにする。
それにしても、人生の課題って色んな所で足を引っ張って来るんだね。
これが仏教用語で言う所のカルマってやつが関係しているのかね。
これからの人生は「唯識」と「愛」について考え続けて生きていく