純度100%のそんなbitterな話🌹

ああ、苦い。とても、苦い。

そんなbitterな人生の物語を楽しんでいる。

 

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家族でも恋人でも友達でも他人でも無い人

散歩道で見つけた黄色い薔薇


離婚して数日が経った。

 

もう暫くは2LDKのお家で一緒に暮らしているのだが、

僕たちの関係はもう既に家族でも無ければ、

恋人でも無いし、友達とは言えないけれど、

他人と言うにはあまりにもお互いを知り過ぎている、

そんな不思議な関係で終わりの日までの短い時間を一緒に過ごしている。

 

お互い家事にコミットしないし一緒に食事することもない

それぞれ外に遊びに行く時間が増えて顔を合わせる機会は1日に数十分程度

会話は事務的な物が多く

 

たまにあるお互いのちょっとした嬉しい出来事の報告が

何だか場違いで不思議な感覚で

 

「そうなんだ、よかったね。」

「すごいじゃん!さすがだね。」

 

と、ちょっぴり他人行儀に微笑ましく受け答えする日々

 

この人と同じ時間を過ごせるのは後ほんの少しだと考えると、とても難しい気持ちになる。

 

これが終われば

たぶん、一生会うことは無いだろう。

 

🏠引っ越ししよう

東京から少し離れた2LDKのお家は一人身には大き過ぎる。

6.5畳の寝室、6.5畳の仕事部屋、13畳のリビング&キッチン

しかも、3年間過ごした沢山の思い出付き

これは…。いらない。

 

都心に移動しやすい場所で、狭すぎ無いお部屋に引っ越ししよう。

 

皆、遊んでね。

 

🌹bitterな話は続くらしい

時間の経過と状況の変化で「辛さ」や「悲しみ」の質や角度や原因は変わり続けても、

まだまだ苦しみ自体は続くらしい。

 

苦しんで、自省して、抜け出した数だけ強く優しくなれる。

 

中長期で見れば悪くない。

受容しよう。

 

人との関わりをもっと深く

ごめんなさい。

今までの僕の人との関わり方は酷く薄くて薄情だった。

 

とても自覚している。

それが良くないことも知っている。

ちょっとずつ深く関われる様にするから、、、

 

まずは相手を知ろう。

今や経歴だけじゃなく、考え方やその背景まで

「お前は笑顔の方が似合う」

悲しい夜道に光り輝く街頭

言動に負のオーラがにじみ出ている

ツイートでも仕事でも負のオーラがにじみ出始めた。
(特にツイートは制限なしのフルアタック)

 

よろしくないね。

 

「笑う門には福来る」って言うくらいだ。
楽しく笑っている人間にこそ良い出来事は集まってくる(はず)

 

暗い顔して陰湿な発言しているやつの近くに居たい人がどれほどいるだろう?

 

楽しく笑え

元気に遊べ!

ちゃんと前を向け!

 

法的なアレが終わった

2023年4月4日
法的な部分のアレコレが全て完了しました。
金銭等の話し合いも完了しました。

 

もう名実ともに赤の他人です。

 

さーよーならー ともよ〜

さーよーならー ともよ〜

 

一緒に過ごした時間は楽しかった!
性格も価値観も全然違ったけど、なんかそれっぽく暮らせてた!

 

最後に見て見ぬ振りをしていた部分(主に自分)が
爆発して駄目になってしまったけど

 

お互いにとっていい選択だったと言えるようにしよう

 

「お前は笑顔の方が似合う」

我が父の言葉「お前は笑顔の方が似合う」

 

当時泣き虫小僧だった僕に父親がいつも言っていた言葉

 

考え方が古風で自分の周囲の世界観しか理解できない
頭でっかちでモラル押し付け系の父親だけれど

 

この言葉はとてもよく覚えている。

 

おっけー、俺も自分の周囲の人にそんな言葉を贈れる人になるよ!

外はカリッと中はしっとり

先日、こんな言葉を頂いた

 

「なんだか楽しそうだね。うざい。」

「存在がうざい。自己評価高過ぎ。」

 

一連の話し合いの中でも何度も感じたことではあるが、僕は内面と外側の乖離がちょっと大きめらしい。

 

具体的には、とてもメンタルがやられている時に「楽しそう」という評価を受けたり、半年間くらいメンタルを病んでいても一緒に住んでいた人に全く気が付いて貰えなかったり。自己評価なんてうんこだと思っているのに…。

 

だからでは無いけれど、
ここ暫くは弱みをさらけ出して弱い自分を認める訓練をしている。

 

北海道ルスツスキー場

 

外はカリッと中はしっとり

心を痛めて病んでいる時でも割と元気に見えるらしい(Twitterを除く)事を知った。

 

ある意味では周りに迷惑を掛けなくて良いのだけれど、どうせどこかで爆発するか折れて迷惑を掛けかねない。

 

今回の離婚話も完全にそうだ。

 

頼るは怖いが人間らしい

自分はもっと内側の弱い部分をさらけ出して人に頼る必要があるのだと思う。

子供の頃から誰かに頼るのが嫌だった。
ましてや自分の悩みを相談するなんて絶対にしなかった。

 

「相談する前に"答え"は既に持っている」

「"悩む"は実行を先送りにする言い訳」

 

昔から上記を思って生きてきた。

 

だけれど、人に悩みを相談したり頼ったりするのは、「可能性を広げる」「心の辛いを取り除く」にはとても有効で有ることが分かった。

 

特に、人に頼ると何故かその人達は見方になってくれるらしい。
これは味をしめそうで恐ろしいね。悪用しない程度にしっかり使っていこう。

 

1年くらい前に「早く人間になりたーい」と冗談でツイートしていたけれど、弱さを認めて、弱いをさらけ出すことでちょっとだけ人間らしさを得られるかもしれないなと感じた。

 

「(辛い時に)真逆の行動を取らないで」

と怒られた。
俗に言う「何考えているかわからない」ってやつだね。

 

自分としては「辛い時こそ笑え!」的な感じだったんだけどな〜

 

何か問題があったら具体的な行動と思考法で解決するのは当たり前だと思ってたから、タイムラグもそんなに無しで実行に移してしまって、それが「何考えているかわからない」につながるのかもしれない。

 

ぴーーーーえん!

 

「毎日、楽しくないね〜♪」

これは最近の家での口ぐせ

 

なんだか色んな事が楽しくなくて、全部どうでも良くなってきてる。

 

あー、やばい。

 

睡眠障害もやっぱり出るし、やる気も無いし、心が疲弊している。

 

定期的に人間と楽しい会話してメンタルの回復を図らないと駄目だね。

 

やっぱり何か守ってる

具体では書かないけれど、自分の挙動から心の中の何かを守っている事がわかる。

 

だけれど、何を守っているのかも、守らない様にすることもどうやったら良いかわからない。

 

ここの守りを壊せたら人間としてもうちょっとだけ素敵に近づけるんじゃないかな?

 

自分の大事に守っている物を壊せ

離。理。り。

昨晩、全ての決着が付いた。
お互い違う人生を歩む事を明確にし、何をどう分配するのかも基本合意が取れた。

メリーゴーランド

出来事

「離婚」に関するお互いの話し合いが完了
方々への説明と法的な書類手続きに移行することが決定

離婚原因

雑に言うと価値観の不一致

  • 結婚前の対話と覚悟が足りていなかった
  • 自分が相手に求めてしまう基準が双方を苦しめた
  • お互いの気持ちが終了した

人は自分すら変えられないのに、他人に「こうなって欲しい」を要求し始めたら終わりだと思う。
変われないが普通。変われたら凄い!!
そして、他人の人生を生きる必要は微塵もない。

求めてしまう基準

  • 対当なパートナーであること
    • 経済的な自立
    • 生活的な自立
  • 一緒に物事を考えられること
  • 一緒に居る時間が作れること

「対当なパートナー」

「対当なパートナー」とはとても曖昧であるけれど、少なくとも「生活していける収入を得る能力」と「生活していける家庭的能力」の両方を持っていて、お互いが協力関係にある状態で有りたいと思った。

後者は炊飯器の使い方から掃除の仕方までゆっくり教えて、3年間で満たしてくれたと思う。 すごいよね。

だけれど、前者は「ちゃんと働く」の言葉が実現されることは無く、結婚後の話し合いで「(あなたが)私はパートで楽に気分良く働いてくれていればいいよ。と言っていたんじゃないの?話が違うくない??」と言われ、 「そう言ったつもりはない。まずはバイトの掛け持ちで朝から働いて日付変更くらいに返ってきて、ストレスで愚痴が止まらない様な仕事を辞めて、もっと楽に仕事したら良いんじゃない?労働時間減らして今より楽しく稼ぐって意外とできるよ。」と言ったつもりだった。的な認識齟齬が合ったことが分かった。

「相手が俺じゃなかったらこんな事求められなかったのにね。ごめんね。」

泣かれた。

変わると言われた。

俺に言われて変わろうとするのは辛い選択だから、どこかで糸が切れちゃうよ?と話した。

2週間で糸は切れた。

「何故、自分は相手に求めてしまうのか」を自省した。

自分のコンプレックスから来る「こうあるべき」を他人に押し付けた結果だと思う。
この問題から開放されるためには、まずコンプレックスと正しく向き合って今の自分を肯定して上げる必要があるのだろう。
自分に厳しくするのはかっこよく見えるけど、本当はコンプレックスに人生を決められているだけなのかもしれない。

あなたは限られた時間を何に使いたい?

一緒に物事を考えられること

真面目な話や将来の話、お互いの認識齟齬を埋めたりする会話をしたかった。
毎回、「今はそんな話したくない」と怒られた。 会話することを諦めてしまった。

「何故、相手は話し合いをしたくなかったと思う?」を自省した。

おそらく2点

  1. 仕事で疲れていてそれどころではなかった
  2. 正論で詰めるアレ

相手はバイトの掛け持ちで朝から働いて日付変更周辺に帰ってくる。
休みはそれをリフレッシュするために外へ遊びに行く。

その合間を縫って難しい話なんてしたくないのは確かにそうだろう。
諦める前にちゃんと対話できる場を自分が作って上げる事ができたら違ったと思う。

また、自分の厄介な性質として、会話において「確からしさ」を優先してしまい、相手の感情を無視して正論で詰めてしまう事がある。
これもコンプレックスから来ていると思うが、仕事でもプライベートでも一番に解決したい悪癖だ。

受けた側は萎縮し、もうこいつとは会話したくないと思う。

感情的になったり、正論で打ち負かそうとする人間の心は、おそらく何かを守ろうとして反応しているのだと思う。

対策としては、もっと弱さをさらけ出して「守らなくても大丈夫なんだよ」を自分の心に教えて上げるのを実践している。

一緒にいる時間が作れること

相手の働き方と外出頻度
そして、自分の外出頻度が大きく関係している。

リモートワークなどで外出頻度が著しく低下した自分と、毎日の様に出かけて家は寝るだけの相手とのギャップは大きい。

これも結局は相対的なものだったのだろう。

3月は意図して予定を増やして家を明けてみた。
疲れるがとても充実している。

なるほど、家に引き篭もる人間とそうでない人間の間の「一緒にいる時間」の適量は難しいのだな。

フィードバック

離婚が決定した後に辛辣なフィードバックを頂いた。

  • デリカシーが無い
  • ジェントルマンじゃない

ご尤も

デリカシーとは気配りや配慮のことである。
されたら嬉しい。やろう。

ジェントルマンとは、彼女の言葉ではおそらく「女性配慮」の事を指すのだろう。
こちらもやはりされたら嬉しい。やろう。

生理も無ければ、恵まれた体格で日々受けるストレスも少ない。 そんな人間がちょっと他者を労るくらい受けてきた恩恵からすれば安いものだろう。

おわりに

文章の端々に「私の辛み」がにじみ出ていて大変申し訳無い。
自分の良くない部分を根本原因と捉える事にはある程度成功していても、苦しんだ感情はそれでも煩く喚くみたいだ。

3.5年も一緒にいた人と分かれるとなると、色んな感情が湧き出てくるんだね。
それでも、お互いの未来のためにはこれが良かったのだと2人で結論を出したから、それを信じることにする。

それにしても、人生の課題って色んな所で足を引っ張って来るんだね。
これが仏教用語で言う所のカルマってやつが関係しているのかね。

これからの人生は「唯識」と「愛」について考え続けて生きていく

2022年度下半期

新千歳空港


2022年秋頃

少しだけ違和感を覚えた。

何の違和感だったのか、当時は分からなかった。
色んなゴタゴタもあったから精神的に少しだけ荒れているのだろうと思った。

 

2022年12月
漠然とした不安を覚えるようになった。

おそらく、この辺りから虚空を見上げて深呼吸をして心を諌める習慣が付いたのだと思う。違和感と関連した別の問題も同時に発生した。仏教の「唯識」の論理の力を借りて不安や思考を殺した。これが良くなかった。

 

2023年1月
流されるままにXデーを迎えた。

数日は問題無かった。元々期待もしていなかったから、特に何かが変わることもなく、ただただ時間が過ぎていった。ただ、祝いの言葉や品を貰うたびに心が辛くなった。

 

2023年2月
明確な不安の影響が身体に出始めた

Xデーから1週間後、睡眠障害と体調不良が現れた。
眠れない。食欲がない。1人になると不安でたまらない。でも誰も居ない。

ストレスが閾値を超えたので色んな人に相談した。
人生で誰かに何かを相談するのが初めてだった。

当人とも話した。
ゆっくりとただ事実と主観と起こりうる未来について話した。
3週間掛けてじっくりと話した。

ここで一度、ほぼ結論は出ていた。
だけれど、毎日の様に泣く姿を見て自然と出てくる言葉を待った。

数日経って
少し待って欲しいと言われた。

 

2023年3月
空元気

未知、新しい、おもしろそう、素敵をただ追い求めた。
ただ待つだけでは心が持たなかった。

ある日、事前の予定を全てキャンセルして欲しいと言われた。
その日を使って話の続きをしたいと…。